お茶と徳川幕府崩壊
お茶の原点は、中国よりお坊さんがお茶の実を持ち帰り九州佐賀県辺りに植えられた釜炒り茶です。
その後、お茶の生葉を蒸気で蒸す「蒸し製煎茶法」が日本で生まれて「抗酸化作用」のある苦渋味成分の「カテキン」が今も注目されています。
約155年前、江戸幕府が崩壊、横浜港から初輸出された商品は「お茶と生糸」の2点でした。
日本国に外国からの船はポルトガル船で琉球国に向けてでした。
その節に「お茶」がヨーロッパの各国の王侯貴族の間で東洋から来た「不老長寿の神秘薬」として重宝されました。
その後、ポルトガルからお茶が手に入らない事情により王侯貴族からさらに重宝されました。
「生糸とお茶」が横浜港から輸出向けに集められました。
さらに、お茶を黒い机の上で手寄りされ茶寄りを行う女性が400名以上が信州当りから集められました。
横浜の外人居留地に「斡旋人」という買い付け人と売り手の間で価格を決める手助け人が誕生しました。
当時、輸送手段は船しかなく三重・奈良・滋賀の山間地から「山の茶」が四日市港に集められ船で横浜港へ運んでアメリカに輸出されました。
四日市市の諏訪神社の天水桶の左右に横浜茶商と伊勢茶商の各商人名が現存しています。
その後、徳川家のご領地で徳川幕府の侍が刀を捨て鍬に持ち替え、今の牧之原、東西4里、南北7里の大茶園が生まれました。